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Orange-pekoe - Tumblr Blog
2023/ 1/ 8 お菓子作りから遠のいてどれくらい経つのか思い出せないのに、このレアチーズケーキを上手に仕上げた記憶は鮮明。
2023/ 1/ 5 がぶがぶと飲んでいた強炭酸水が懐かしいくらいに回復して、今日はほぼほぼ横になることなく過ごせた。健康って素晴らしい。 ついつい無理が普通になっちゃうから、これからは自分を労わろうと心に誓う。 確か1年程前にもそんなことを宣言していたというのに、繰り返してしまう人間=私という生き物。そんな弱さも受け入れてあげる。 私と同時期に、娘が例の流行り病に感染。自室に閉じこもって療養生活を送っていたのだけど、本日晴れて解放され、1週間ぶりに間近で見た娘は目の下にクマが出来ていて、体重も4キロ痩せたらしい。 けれど自由になった今、すべてが感動の嵐なのだそう。水道水が美味しくてたまらず、お風呂に入ることが出来る幸せを噛みしめ、愛犬がわんわん大騒ぎしてうるさかろうとも可愛くて抱きしめていた。 余程辛かったのだなあ。 皆さまもご無理せず、どうかお身体ご自愛くださいね。
2023/ 1/ 4 卵かけご飯をいただきたくなるときは決まって 「 今私は疲れているのだな。体力が消耗しているのだわ。」 というサインだったりする。納豆かけご飯は、そろそろ復活したかなという頃合いにいただきたくなる。 今日はまだ、卵かけご飯の氣分だった。 熱は下がったのだけどフラフラする。今年の初詣は行けそうになくて、家でおとなしく待っていることにした。 帰宅途中のオットから連絡があり、何か欲しいものがあるか尋ねられたので、塩っぱいお菓子をお願いしてみる。 帰宅後、自室までわざわざ持ってきてくれたのだけど、こんなことは普段殆どすることがない行動。弱っている姿が気の毒に思えたのかもしれない。「 開けてあげようか? 」 と言われて、これにも驚いたのだけど、開けた途端バリバリ食べ始めた。 「 さすがに全部食べるのは良くないからさ。」 と、私が完食するのを阻止したらしい。 ・・とにかく食べたかったんですね?
2023/ 1/ 2 新年早々まさかの発熱。検査は陰性だったので、まずはホッと肩を撫で下ろす。家族は、毎年恒例・頑張り過ぎた後の体調不良だろうと思惑通りだったらしい。普段よりもまめに掃除したから、疲れがどっとやってきたのだろうなぁやれやれという声が聞こえてきそう。 私としてはこんなイメージを抱いている、部屋の隅々に隠れていた負のエネルギーを頭から被っちゃったみたいな。そんなの勘弁してほしいから、今年の年末は手抜きしよう!という抱負を掲げてしまいたくなる。
それにしても、元日からうーうー唸りっ放しである。ジッとしているほうが辛くて何度も寝返りを打つ。そのたびに掛け布団がぐちゃぐちゃになっていく。 折り紙の角と角がピッタリ合っていないと氣が済まないような私は、このぐちゃぐちゃにも我慢ならず、朦朧としながら起き上がって隅っこを丁寧に揃えると心穏やかになってベッドに潜り込むのだけど、掛け布団の上に無造作に置かれたパーカーについては、まあいいか!と大目に見てあげられる。そこにあったことさえ氣にならない。 ああそうか、肌に触れる訳ではないからだ。生まれて初めてそう氣づいた。
熱とは、妄想の世界へと旅するものなのだろうか。私の意識を支配して会話が飛び交っていた。 「貴方に呼ばれたら、必ず会いにいく。」 「決めたんじゃなくて、そうするしかないことを知っている。」 「ただし、熱がある時はどうしても難しい。」 「何故って?発熱すると私は大騒ぎするから隠しようがない。」 「熱があるのに秘密にして抜け出すことなんて出来そうにない。」 「私が嘘つけないこと、知ってるでしょ?」 何なんだろこれ。大騒ぎするのも、嘘がつけない性分なのもその通りなのだけど。どちらかといえば一方的な主張だろうか。え、願望なの?頭の上に疑問符が浮かび上がる。熱って空おそろしい。
家族に飲み物を要求したら、1リットルの強炭酸水が運ばれてきた。喉を潤すというより、しゅわしゅわするからスッキリする。にしても水分補給が 「 炭酸 」 、しかも 「 強 」 だからお腹がぱんぱんになる。嫌がらせか冗談なのかしらと可笑しくなる。 何はともあれ、新しい年のはじまり。寝正月が許されているのも自分へのご褒美ということで。今年もよろしくお願いいたします。 微熱まで下がりました。
2022/12/29 今日は走ったし飛び跳ねたし、転びそうになった。筋肉痛は免れそうにない。しかも翌日ではなく、経験からいうと数日後ってところがどうなの? それにしても、あれよあれよという間に年の瀬。年末年始とか関係なくなってきた。大晦日に「お好み焼きがいい。」という娘のリクエストにも驚かない。ところで、お好み焼きは担当から外れるので、心置きなくビールをいただける。いつも飲んでるけれど、何故だか特別感あるのは、やっぱり大晦日だからなのか。
フォルダから写真を引っ張り出してみると、私はここのカフェによくよく出没していたことがよくわかる。
2022/12/24 ひじょうに珍しい知人から連絡があった。一度は生涯を共に歩もうと心に決めた元・相方である。元なのだから、今は其々の道を歩んでいる訳なのだけど。元気そうで何よりだった。 ドロドロとした修羅場というのを潜り抜けた先の今があるので、へんな遠慮がない。遠回しな言い方もなければ、必要以上に優しさを振り撒くでもなく、実に淡々と要件を伝え合う。 ただひとつ 「 あなたという存在 」 について、多角的にひとつの種類が増えたことを伝えてみたのだ。それは喜びだったらしい。喜ぶだろうなという確信があって伝えた。そう思えた私は、角が削げてまーるくなったのかもしれない。 あの頃噴出した感情は、とうの昔に赦せた自分がここに在る。
2022/12/21 曜日で動く私にとって、こうしてここに記す日付によって、ようやく今日が何日なのかを認識している。すると「今年もあと10日なのか!」とささやかな発見がある訳だ。 旨煮の里芋も入手出来たし、手術した目のまわりの内出血も殆ど目立たなくなった。リビングのカーテンの洗濯がまだ残っているけれど。あらたまって意識する程でもないくらい日常にありふれた里芋と完治とお洗濯を「2022年の締めだわ。」と思っていたりする。 ワークは、今週金曜日にアロマハンドトリートメントのボランティアが締めとなる。この半年、延べ120名の方々が受けてくださった。子育て中のお母さんに癒されてほしくて始めたことだけど、学ばせていただくことが多く、あらためて自分の内側と向き合うキッカケも与えていただいた。結局私は、自分が一番したかったことに徐々に近づいていたのだと氣づくようになっていた。病気をキッカケに、大好きな子供達に携わる職場を3月に退職したことは必然だったのだな…と、思わずにはいられない。 誰しも次なるステップが準備されている。準備するのは他の誰でもなく、実のところ自ら着々と積み重ねて今が在るのだ。あとから氣づけるようになっているのね。
いつかの森彦にて ハーフカメラさんとともに
2022/12/19 寒さにめっぽう弱い私。ずっと家にこもっていたいところなのだけど、そろそろ本格的に雪が降り出すシーズン到来。 今年は家族の中で一番自由度高めの私が除雪係に任命されている。立候補したともいえる。それを理由に、平気で膝を超えてくる雪に挑むべく「スノーブーツ」という名の長靴を購入。
そうして、今季初・雪道を運転している次女。もうね、なんなのこの緊張感たっぷりの助手席って。ジェットコースターのほうが断然楽しい。ハラハラもドキドキもコワイのではなく、娘を思っての心配なのだ。 けれど、いまどき私は車を運転するための免許を持っていない手前、ああだこうだといわないように大人しくしている。しかも、結構心臓に負担をかけながらである。罰ゲームですか?といって緊張感吹き飛ばして笑ってみたいところだけれど、本人は真剣に運転しているのだから、勿論いえる訳がない。そんなことが頭の中を駆け巡りながら、そうこうしているうちに自宅に到着した瞬間、どっとチカラが抜けるとはどんななのか、ようやく知った氣がする。
2022/12/18 Tumblrの前アカウントに投稿した写真を、今回も使い回しているものがあったりする。それに添えたニッキだったりヒトリゴトだったりの内容はすっかり忘れてしまったけれど。 ひとつだけ確かなのは、その写真を通して溢れる感覚感情を表現するならば【今】だから綴れる私の一部ということ。 もちろん、あの頃も【今】に在って表現していたのだから、一瞬一瞬に【在る】ことに変わりはなく。けれど、ここと向き合う自分の視点が随分変化したことに氣づく。解き放たれ、昇華されたからこそ綴れる何かがある。
2022/12/17 いつの間にやら、今年も残すところ2週間。なんという猛スピードで流れてゆくのだろ。もはや時間ってあってないようなもの。いやいや、数年前からそんな感覚はあったけれど、12月って特別かも。 秋口になると、新年めがけてリビングのカーテンを購入しようと心に決めるのに、まず間に合いそうにない。‥というのを、数年繰り返している。昔の造りである我が家は、窓がやたらと大きいので多分規格外なのだ。それを充分理解しているはずなのに「あ、そういえば!」と思い出すのはいつも今時期。ということは実のところ、買い替える必要性をあまり感じていないのかもしれない。今年もじゃぶじゃぶ洗ってぎゅーぎゅーに押し込んで脱水しよ。 もうひとつ氣がかりなことといえば、里芋についてだろうか。大晦日には旨煮を作るのだけれど、クリスマスが過ぎ去った途端にびっくりする程お高くなる。そのぎりぎり手前を狙って買い出しにいこうと目論見中。昨年は売り切れだったので冷凍の里芋にチャレンジしてみたら、調理は楽だし美味しくいただけた。家族揃って「今年も冷凍でいいよ。」というけれど、まず「おーい、お手伝いしようよ!」といいたい。今年こそは旨煮作りを伝授しよ。
お弁当作りからすっかり遠ざかっている今日この頃。探し物をしていたら、購入したにも関わらず未使用の曲げわっぱがひょっこり出てきた。フリーとなった今、お昼を挟むスケジュールは組んでいないので、昼食はほぼ毎日自宅。そんな訳で出番がなくて奥深くに仕舞ったままだった。有ることさえ忘れていた。
お弁当はいいよなあと思う。彩り考えながら食材選ぶのは結構楽しいし、好きなものばっかり詰めちゃうから残すこともない。“好き”に偏って栄養面はどうかと思うけれど。それはそれでいい。
2022/12/13 先週の終わりに眼科で手術をしました。手術といっても大それたものではありませんが、麻酔してメスで切ってというのをしたので、痛かった。 術前に先生から「あなた皮膚が薄いから、青くなるかも。」と言われてはいたのですけれど、想像以上の仕上がり様。術後1~2日は腫れと内出血で、まるでパンチでもくらって取ってつけたようなおめめになってしまった。 今は腫れは落ち着きましたが、紫とか青とか黄色とか色とりどりで、アイメイクの必要が無いって状態。どちらかといえば行き過ぎでしょって感じのメイク。いやいやメイクじゃないですってば。 にしても、瞼のしこりは無くなって視界スッキリです。先生ありがとう。 こんな彩り豊かなおめめですから、今日の仕事はおやすみしました。お母さんの傍らには乳幼児の小さなお子さんもいますので、さすがに恐怖でしかないと思うのですよ。眼帯も考えたのですけれど、このご時世マスクもしてますから、右目だけキョロキョロしてるのはちょっとコワイ姿ですし。 ところで、来週韓国からお客さんが来ることになっています。このアイメイクはもう少し落ち着いているのだろうか。
2022/12/12 螺旋階段を昇りながら 重荷を少しずつおろし 楽になって また背負いこんでしまったものをおろしては 楽になって を繰り返しながら 何層にも身に纏っていたはずの鎧が軽くなった頃 何かの囚われの身だったと信じて疑わなかった その“何か”とは 何を隠そう いつかの自分が作り上げた幻想だったとは 軽くなればなるほど 意識の領域が広がるから面白い
数年前のこと。札幌の街並みを望みながら、ここでひとりワインをいただきました。次はお昼に行ってみたいけれど、もう一度夜にもお酒を飲みに行ってみたい。
2022/12/10 最近、エリザベス・ハイチという人物の「イニシエーション」という本を購入。日本語版としては2015年が初版なのだけど、7年経って初めて読みたいと思った。 届いてみて驚いたのは、こんなはずではなかった!というくらいの頁数。驚いたけれど、得した氣分でもある。夢中になって読める時間が断然長い。とはいえ、読み終えたときの充実感は厚みや時間じゃないことも知っている。とにかく、頁を開く楽しみが待っている。 待っている・・ということは、数日経っているのにまだ開いていない訳で。これは私のじれったい癖なのだ。楽しみにし過ぎて勿体ぶる。アイスクリームがとけそうなのに食べ終えるのが惜しくて、結局ドロドロになってしまったのと似ているかもしれない。 そうなる前に先程、適当なところを開いて少しだけチラリと読んでみたら、どういう訳か私の実体験である出来事に似通った綴りを見つけてパタリと閉じてしまった。びっくりしたけれど、何かヒントを与えられたようで氣になってしょうがない。「もうそろそろ読んでみては?」というエリザベス・ハイチさんからのメッセージとして受け取ることにしよ。 写真のアイスクリームは、見ての通りとけかかっているのですが、フィルムカメラの撮影に夢中になり過ぎた様子がコレという訳。
2022/12/10 Tumblrに戻ってきたのはこれで3度め。写真の収納庫としても綴るにしても、マイペースに向き合えるところが好き。なのに何故に2度ここを離れたかといえば、居心地の好さから冒険したくなったから。そして夢を膨らませて飛び立ってはみたものの自分には合わなかったので、再びここに戻ってきた次第。三度目の正直なるものです。 ある日のカフェにて。次女と。このあとアイスティーのグラスを倒して、スタッフさんにご迷惑をかけてしまう人。 最近行けていない森彦さん。美容室を別のお店に変えてから遠退いてしまった。そのうち是非とも寄り道したいカフェのひとつ。
2022/12/9
「はてさて自分は何者なのかしら?」と、改めて見つめてみるような機会がありました。それは漠然としていて全く掴みどころがなく「そういう私は誰なのか?」と自分に問うては答えのない問いを繰り返すのです。
【自分が知らない自分】がまだまだ在ることを知ったのは、ようやく自分の内側に向き合って随分と経った頃でしたが、実は【自分を知らないナンバーワン】は私だということに氣づいたのは、更に月日を重ねた後のことです。
あれから更に時を経た今、もう一度「自分は何者なのか?」と問うてみれば、やっぱりよくわからない。けれど「この星で、この “ 私 ” って存在を楽しみながら、自分探しの旅してる。」という目的は明確。これだけで、みょうに落ち着くのだから、何者か?はあんまり重要ではないのかもしれない。
2022/12/8 意識が外へと向いているとはいえ、積極的に“なにか”と繋がろうという氣持ちとは少し違っていて、どちらかといえば、そこに重きを置くことの意味がわからなくなってきている。例えばワークに伴って発信する手段に取り組もうとするとき、己の潜在的なエゴを垣間見る。そうすると、本来は求めていないことに氣づき必然的に遠ざかる。いっそのこと無くてもいいなあと感じて、作っている途中の名刺に載せていたSNSのアカウントを削除した。アカウント自体も削除しようかなという氣持ちに傾きつつある今。
それじゃ本格的に稼働しようとしたとき、なにをもって自らをアピールするの?と問われたら・・なるようになる。必要なご縁は繋がる。と、なんともまあお気楽過ぎて自分でもあらあらと思う訳ですが。これまで生きてきて、確かになるようになるし必要なご縁の繋がりをいただいてきました。それで“よしっ!”が自分らしい。
こんなふうに、潜在意識と顕在意識の折り合いをつけて自己受容するまでの“綴る”というツールが私は好きです。薔薇の小径を歩きながら、通り抜けた次のステージに夢を膨らませてわくわくする自分も好きです。
2022/12/5 4機のフィルムカメラのカウンターがややしばらく止まったままで現像に出すまでに至っておらず、いったい何を撮ったのかさえ覚えていません。 先日たまたまネットか何かで見かけた大通公園のライトアップが綺麗で、是非とも撮りたい!と思ったのと同時に、どれだけ寒いのだろと想像して躊躇してしまう・・ けどね自分でいうのも可笑しな話ですが、何を撮ったのか興味があるではありませんか(ほんとに覚えていなくてびっくり)。 そんな訳で、中途半端に放置してしまったカメラを救済すべく、キラキラ輝く夜の街を撮りに行くとしよう。2022年締めの楽しみっていうことでご褒美に流れ星に出会えるかもしれない。